肩書きを並べるだけで、もう普通ではない。
東京大学教育学部卒。NHKディレクター。『朝まで生テレビ!』スタッフ。国会議員秘書。弁護士。社会福祉士。衆議院議員1期。明石市長3期。参議院議員。柔道三段。手話検定2級。タコ検定達人。
最後のひとつで気が抜けるが、これは本人が公式プロフィールに自分で書いている。明石の人である証明として、東大卒と並べて堂々と載せている。そういう人だ。

これだけ職を変えていると「一貫性がない」と言うこともできる。だが時系列でつなぐと、驚くほど一本の線が通っている。その線をたどりたい。
原点は、四つ下の弟
1963年、兵庫県明石市の漁師町に生まれた。家は貧しく、両親は懸命に働いていた。
そして四つ下の弟に、障害があった。
本人が繰り返し語っているのは、この弟の存在が政治家としての原点だということだ。助けが必要な家族に、制度が届かない。その光景を、子どものうちに間近で見ている。後年の「やさしい社会をつくる」という言葉は、理想として掲げられたものではなく、そこから始まっている。
明石西高校から東京大学教育学部へ。漁師町から東大というのは、それ自体が土地の語り草になる出来事だっただろう。
石井紘基という補助線
1987年、東大を出てNHKに入局。ディレクターになる。そして翌年、辞めている。在籍1年。
その後『朝まで生テレビ!』のスタッフになる。世の中の問題を「報じる側」にいた時期だ。
この時期を理解するのに、ひとりの人物が補助線になる。石井紘基である。
石井は「国会の爆弾男」と呼ばれた衆議院議員で、特殊法人に流れ込む税金の構造を執拗に追及し続けた。税金がどこに消えているのかを、資料で解剖するタイプの政治家である。そして2002年、追及の渦中に自宅前で刺殺された。
泉は石井の著書に感銘を受け、選挙応援に入り、秘書になった。報じる側から、動かす側へ移った瞬間だ。
ここを押さえておくと、後年の泉が理解しやすくなる。予算の流れを追い、使い道を組み替えるという発想は、この時期に身についたものだ。明石市長になった泉が最初にやったのが「道路や箱物の予算を削って子どもにまわす」ことだったのは、偶然ではない。師の方法論を、追及する側ではなく、決裁する側で使ったのである。
政治の現場を内側から見た彼が次に選んだのは、司法試験だった。1997年、弁護士登録。三十代半ばである。さらに社会福祉士の資格も取っている。法律と福祉、両方から人を支えられる状態を自分で作った。
NHKディレクター、テレビスタッフ、議員秘書、弁護士、社会福祉士。並べると脈絡がないように見える。だが本人の中では一貫していた。どうすれば、制度に届かない人のところに制度を届かせられるか。その手段を探し続けた二十年である。
国会議員1期と、小泉劇場
2003年、衆議院議員に初当選する。兵庫2区で敗れながら比例近畿ブロックで復活した、ぎりぎりの当選だった。この1期で、犯罪被害者基本法と無年金障害者救済法の議員立法を担当している。制度からこぼれ落ちる人を、法律の側から拾いにいく仕事である。弟のところから、まだ一歩も動いていない。
そして2005年、議席を失う。郵政選挙である。
小泉純一郎が郵政民営化法案の否決を受けて衆議院を解散し、「小泉劇場」と呼ばれた選挙戦を展開した、あの選挙だ。自民党は296議席を獲得して圧勝し、泉が公認を得ていた民主党は113議席まで減らした。個々の候補の力量とは別の力が働いた選挙で、有力議員も軒並み倒れている。泉もその波に呑まれた1人だった。
政治から離れた彼は、弁護士の仕事に戻る。次に表舞台に出てくるまで、6年かかる。
69票差 — ここからすべてが始まった
2011年、明石市長選挙に出る。結果は、69票差での当選だった。
人口30万の市の市長選である。泉に投じた35人が相手に回れば、そのまま逆転する差だ。もしそうなっていれば、後の「明石モデル」も、いま動いているこの新党も存在していない。日本の子ども政策の議論も、いくらか違った形になっていたはずだ。
その69票の上に、これから書くことすべてが乗っている。
いま「当たり前」になっていることを、最初にやった人
市長になった泉がやったことは、はっきりしている。予算の使い道を変えた。
道路や箱物にまわっていた予算を削り、子ども関連予算を積み上げた。市長就任時から約2.4倍である。国や県の補助金も引っ張ってきた。
そして掲げたのが「5つの無料化」だ。
- 医療費は18歳まで無料
- 保育料は第2子以降が無料
- おむつは満1歳まで無料宅配
- 中学校の給食費が無料
- 遊び場は親子とも入場料無料
ここが肝心なのだが、これらは今でこそ各地で聞く話で、当時はそうではなかった。 本人がインタビューで語っている通り「当時珍しかった、全国初がほとんど」である。所得制限なしの医療費無償化も、中学校給食の無償化も、明石が先にやった。
そして本当に効いたのは、すべて所得制限なしで通したことだった。
当時の常識は逆である。財源は限られているのだから、本当に必要な人に絞るのが行政として正しい。それが当たり前だった。泉はそこを崩した。線を引けば、線の向こう側の親は「自分たちは対象外だ」と受け取る。線を引かないこと自体が、子育て世帯へのメッセージになる。 財源の配分ではなく、社会が子どもをどう扱うかの表明として設計されていた。
結果として明石市は10年連続で人口が増加し、合計特殊出生率は就任前の1.48から2020年に1.62まで上がった。同時期の全国平均は1.33である。人口が増えれば税収が増え、増えた税収をまた子どもにまわす。この循環が「明石モデル」と呼ばれるようになった。
そして、周りが真似を始めた。
東京都や福岡市が所得制限なしの子育て支援に乗り出したのは、明石が始めてから約10年後である。国も2024年に児童手当の所得制限を撤廃した。泉が「非常識」と言われながら通した設計が、10年かけて国の標準になっていったことになる。
本人はこの現象を、こう言っている。
「周りが真似始めるので」
真似されることを織り込んで、あえて全国初を積み重ねる。ひとつの市の予算では日本全体は変えられないが、最初の実例さえ作れば、他が勝手に追いかける。明石市長時代の12年間は、その一点に賭けた実験でもあった。
「近隣から子育て世帯が移ってきただけだ」という指摘もある。それ自体は事実だ。ただ、少なくともふたつのことは証明された。行政のトップが本気で予算を組み替えれば、街の人口動態は動く。 そして、ひとつの市が示した実例は、10年で国を動かす。
怒りと、7割の信任
この人を語るとき、避けて通れないものがある。怒りだ。
2019年1月、道路拡幅にともなう立ち退き交渉が進まないことに激高し、市の幹部に「火をつけて捕まってこい、燃やしてしまえ」という趣旨の発言をしていたことが報じられた。録音が公になり、2月に辞職する。
普通なら、ここで政治家生命は終わる。
だが翌3月の出直し市長選で、泉は80,795票、得票率にして約7割を得て復帰した。市民が彼を選び直したのである。発言を是としたのではなく、この人でなければ明石は変わらないという判断が上回った。これほど分かりやすい信任のかたちもない。
2022年10月には、市議に対する発言が問題となり、今度は再選を目指さず政治家引退を表明する。本人の説明は「11年分の市議会への怒りが爆発した」であり、引退の理由は「繰り返さない自信がない」だった。責任の取り方として、これ以上に潔い言い方は思いつかない。
ここで見ておきたいのは、怒りの相手が誰だったかである。2019年は立ち退き交渉が進まない状況に、2022年は市議会に向いている。市民に向けられたことは一度もない。予算を組み替えようとする市長と、それを止める側との12年間の摩擦が、そのまま噴き出したかたちだ。
2023年4月、明石市長を退任。
引退から2年、参議院へ
引退後の泉は、著述とメディアで存在感を増していく。明石市長退任の直後には、元朝日新聞記者の鮫島浩と『政治は喧嘩だ』を共著で出している。タイトルがそのまま自己申告になっている。
「これからはプレーヤーではなく応援団として」と語っていた通り、他の自治体の首長選を手伝いもした。明石でやったことを、他の街に移す作業である。
そして2025年7月、参議院選挙に兵庫選挙区から無所属で出馬し、当選する。引退宣言から2年だった。
理由は一貫している。明石一市の成功では、日本は変わらない。
ひろゆきとの距離
ここでもうひとりの補助線が入る。ひろゆき(西村博之)である。
意外に思われがちだが、2人の付き合いは古い。泉が明石市長の現役だった頃から複数の番組で対談しており、2023年には少子化をテーマにした共著まで出している。新党の話は突然湧いたものではなく、本人の言葉では「1年2年かけて」練られたものだ。
泉はこの関係をこう説明している。
「意外とひろゆきさんと意気投合しまして」 「嘘つき政治を終わらせましょう、とえらいそこで意気投合しました」
タイプは正反対に見える。片や怒りで動く実務家、片や論理で切る発信者。だが接点ははっきりしていて、子ども政策と既存政治への不信の2点である。泉には明石で出した数字があり、ひろゆきには数百万人に届く発信力がある。互いが持っていないものを、互いが持っている。
そして「せーのドン」
2026年7月20日、新党を設立。7月27日に東京都選挙管理委員会へ届け出た。
狙いは議員ではなく首長である。市長や区長になれば予算の使い道を変えられる。明石でやったことを、他の街でもやる。理屈はそれだけだ。
ここで、近年の新党と並べてみると座標がはっきりする。石丸伸二の「再生の道」は都議選で議員を狙った。参政党も国民民主党も、伸ばしたのは議員の数である。小池百合子の希望の党は国政に出た。
泉が向かうのは、そのどれとも違う。国政ではなく地方、議員ではなく首長。 本人はこの違いを、こう言い切っている。
「これまでと大きく違うのは、国政じゃなく地方。しかも議員を増やすじゃなくて、首長を行くのがおそらく新しい」 「実は勝ち合わないんですよ」
他党と競合しない、という意味だ。地方議員を増やそうとしている政党とも、国政の政局とも、そもそも土俵が違う。戦う相手は現職の首長と、そこを推す自民などに限られる。
そして戦い方も違う。東京新聞のインタビューで、彼はこう表現している。
「せーのドンって感じですかね」
これまでは一つずつ手伝ってきた。今回は統一地方選の対象となる全国220自治体に、一斉に仕掛ける。
つなげて見ると
漁師町。障害のある弟。東大。NHK。朝生。刺殺された議員の秘書。弁護士。社会福祉士。犯罪被害者基本法。69票差。所得制限なしの無料化。10年連続人口増。真似される側。7割の信任。参議院。そして新党。
バラバラに見える。だが並べ直すと、やっていることは最初から最後までひとつしかない。
制度に届かない人のところへ、制度の側を動かして届かせる。
その手段が、テレビから、秘書から、法律から、福祉から、そして予算の決裁権へと移ってきただけだ。怒りが出るのもいつも「制度が人に届いていない」場面で、その矛先はいつも制度の側に向いている。四つ下の弟のところから、一度も動いていない。
運営者コメント
この経歴でいちばん重いのは、69票差から10年連続人口増まで持っていき、しかもそれを国の標準にしてしまったという一点だと思う。理念を語る人はいくらでもいる。予算を組み替えて数字を動かした人も、探せばいる。だが自分の街でやったことを、10年かけて他の自治体と国に真似させた人は、ほとんどいない。
石丸伸二も、小池百合子も、参政党も、勝負したのは議席の数だった。泉が勝負するのは予算の決裁権である。ここが決定的に違う。区長を1人取れば、その街の予算は翌年から変わる。議席を10取るより、首長を1人取るほうが早い。明石の12年が、その証明になっている。
そして今回、泉自身は候補者にならない。擁立する側にまわる。問われるのは、明石で予算を組み替えた実務のノウハウを、自分以外の人間に移植できるのかという一点だ。
これは難しい。難しいが、本人がいちばんそれを分かっている。「まともな大人を募集しております」というひろゆき氏の言葉と、10月に発表される選考委員の顔ぶれが、その最初の答え合わせになるはずだ。
※本記事は公開情報および本人の発言をもとに、運営者が独自にまとめたものです。参議院の公式プロフィール、本人の発信、各社報道、および当サイト収録の動画(東京新聞・文藝春秋PLUS・SAMEJIMA TIMESほか)を参照しています。事実関係は必ず一次ソースでご確認ください。